takeshi goto
architect & associates


江本弘『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』
(東大出版会)


『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』



グローバリズムの中の閉塞
21世紀に入って、日本における建築文化は急速に自閉しつつある。グローバル化の進展とともに国際的な情報は大量に流通し、人的資源の移動と交通が以前に増して盛んになっているにもかかわらず、関心の時空は確実に限定されてきている。ポストモダニズムの能天気な歴史主義の喧噪が過去のものになり、時間も空間も等身大のものに縮小されていったのだ。身近で直近の出来事が主要な関心事となり、身近で直近の状況に照らし合わせて迅速な価値判断が遂行される。外国語で書かれた難解な建築書を一字一句解読するまわりくどい作業は厭われる。最新の建築雑誌ならまだしも、すでに長い時間が経過した古い建築理論の迷路に率先して迷いこむほど、21世紀の建築学生は暇ではないのだ。

つい最近まで建築学生だったはずの江本弘による『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』は、こうした時空の矮小化に徹底して抵抗している。それは、19世紀から20世紀初頭の近代建築の黎明期のアメリカで、ヨーロッパとの交流の中で建築理論がどのように形成されていったのかを明らかにすべく、膨大な西欧諸語の一次文献の迷宮を彷徨い続けた探検の記録である。今から百年以上前のアメリカの、ましてや建築論壇などという高尚な場で思考されていた小難しいことなど、いったい今、日本で誰が興味を持つというのか。何の役に立つのか。そんな諦観は封印しつつ、この労作と21世紀の日本の若者たちとの出会いを組織するべく、この本を極東の日本で今読むことの意味を考察してみよう。

16世紀にはじまるヨーロッパ諸国による植民地化を経て18世紀末に独立するアメリカは、歴史と記憶をあらかじめ喪失した新天地だった。記憶喪失の大地アメリカがアイデンティティを保持した独立国家として確立するためには、ヨーロッパという外部から歴史と記憶を移植し、接ぎ木するほかなかった。建築の分野で歴史と記憶を移植する際の手がかりとされたのが、ジョン・ラスキンとヴィオレ=ル=デュクの著作群だった。とりわけジョン・ラスキンの著作は、アメリカにおける近代建築史の成立において持続的に参照され続けた。

伝達と変形
人は言葉を読むとき、純粋無垢に言葉の意味を受容できるわけではない。言葉は多義的でコンテクストに多く依存するからである。人は言葉の中に、自分が読みとりたいことや自分が読みとることの出来ることしか読みとれない。読むことはつねに、こうした認識論的障害の中に囚われている。建築理論の受容もまた、まるで伝言ゲームのように誤解と変形のプロセスを通して遂行される。ジョン・ラスキンの多義的な文体は、こうした多様な読解へと導きやすい傾向にあった。時に賞賛され、時に否定され、古典主義者ととらえられたかと思えば、ゴシック主義者と定義づけられ、ジョン・ラスキンとヴィオレ=ル=デュクは、アメリカ近代建築史のイデオロギーを基底で支える根拠として読み替えられてきた。『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』は、こうした受容史研究の成果として優れたものである。

歴史の忘却と日本
建築の受容をめぐる問題は、日本の近代に目を向けた時にも切実さを帯びてくる。明治維新以後のヨーロッパ建築受容の流れの中で、アメリカとは異なるコンテクストにおいてやはりジョン・ラスキンとヴィオレ=ル=デュクが読み継がれ、誤解をも含んだ解釈を通して、日本建築の設計理論が構築されていったからである。明治時代には、ジョン・ラスキンとヴィオレ=ル=デュクは、新しい建築を生み出すための歴史的根拠の創出に役立てられてきたのである。歴史に意識的であろうがなかろうが、建築における私たちの価値判断は歴史的であるほかない。価値判断はつねにそれまでの歴史の前提の上になされるからである。関心の時空が限定されつつある現在、価値判断の根拠は曖昧で、歴史と現在は切断されているように見える。しかしそんな歴史の忘却は、表層的な時代の気分に過ぎない。私たちの価値判断を基礎づけているものの正体を、歴史的に再確認する必要がある。そのために『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』は、実践的に役に立つガイドブックとして読みうる可能性をも秘めている。

更地に歴史を建設しようとしたアメリカ。その建設過程を詳細にドキュメントしたこの本は、既存のアメリカ近代建築史をリノベーションするような役割を果たしてくれる。肉体的にも過酷であったはずの探検の苦労を水面下で隠すかのように、この本の文体は軽やかで流れがあり、一気に結末まで読者を連れ出す力がある。装丁の色調も美しい。カヴァーを剥がしてみてほしい。本の内容も緻密に設計されているが、本そのものも考え尽くされた設計だ。騙されたと思って、手に取ってみてほしい。

(初出:日本建築学会「建築討論」書評2019.11)